区切り第5回2日目(平成16年8月19日) 天気のち晴れ

台風の影響を受けながら宇和島へ

朝3:00に携帯のアラームで起床。廊下に出ると、乾燥して放置してあった洗濯物が手すりに干してあった。どうやら寝ている間に女将さんが干してくれたようだ。洗顔し、歯を磨き荷物をまとめ、冷凍庫に凍らせておいたアクエリアスを取り出し3:30出発。新橋旅館の家族は皆寝ているようだ。雨が降り続いているがそんなに激しくないので予定通り。あらかじめ女将さんに早く出る事を言っておいたので玄関の鍵も開いていた。

今回の遍路は札所が近くに無く、かつ山道もすぐ入らない場合はなるべく早く出て日が昇るうちに距離を稼ぐ作戦だ。朝食は7時くらいにコンビニでパンと牛乳を摂取。野宿遍路よりは贅沢だが安く速く進められるが日中はダラダラ、番外札所や観光地なども立ち寄ってゆっくり歩くことにした。

新橋旅館から歩いて30分経過、松尾トンネルの入り口に差し掛かる。全長1.710mで国道56号線にあり、多くの人が旧道を勧める場所である。トンネル入り口に何故かリボビダンD専用の自販機あったのでその場で買って飲む。トンネル入り口でポンチョを脱ぎ。蛍光タスキを掛けて準備をしてトンネル突入。しかしこれが意外と快適。早朝なので車は通過スピードは速いけど通行量は昼間よりずっと少なく排気ガス臭も気にならない。また、車は自家用車より路線便のトラックの方が多く、減光したり反対車線に避けるなど配慮してくれる。しかもトンネルは雨に濡れずに済む。トンネル通過は早朝がおすすめです。

20分程でトンネル通過。「え〜もうトンネル終わり〜」といった感じである、トンネル出る直前でポンチョを着て雨の中を歩き出す。以後、宇和島市街に入るまでは雨が降ったりやんだり。ポンチョを着たり脱いだりで手間がかかる。しかし、雲が自分の背後から流れてくるので時々振り向き、怪しそうな雲が迫ってきたときにポンチョを着るなど慣れてきた。

風も強く。沿道のお店の「のぼり」がバタバタ音をたてて今にもちぎれそうな状態。菅笠も時折風であおられる。宇和島市街の入り口のローソンで朝食を買い出し。適当なベンチがある場所を求めながら先に進む。途中、雨が再度降り出し、車のディーラーの軒先でまたまたポンチョを着る。ずっとポンチョを着れば楽に思えるのだが、通気性が悪くサウナ状態になるので着たり脱いだりしているのです。その先は住宅街になっていて古い家の格子状の窓からお婆さんが挨拶してくるほかは時折車が通る以外は静かだ。そこでまた大雨。結局コンビニからここまで適当な休憩場所が無かったので、民家の軒先にある丸太に腰掛けながら朝食。斜めから降ってくる雨は避けられない。

約20分後朝食を終え、小降りになると歩き出す。朝食休憩では自分にとっては長い方だ。

ちょうどゴミ収集の作業をしているところに遭遇。よく見ると宇和島の家はゴミを道路沿いの軒先にゴミを置いてあり、首都圏にあるごみ収集ステーションなるものが存在しない。

つまりごみ収集車が一軒づつ軒先に停まってごみを集めているので非常に手間がかかる作業である。住宅街突き当たりに川が見えたところでスーパー発見。店はさすがに開いていないが軒先に十分な雨を避けられるテントと座れる場所が!いつも休憩場所には運がない。

宇和島市街に入ると少々道に迷う。市立病院の周囲をジグザグに通過するのだがこれがどの辺の通りなのか分からない。個人の診療所がたくさん建ち並ぶあたりで「四国のみち」の道標を発見したので「診療所通り」をそのまま歩いて突き当たりを左折する。しばらくあるくとかまぼこ屋の前を通過。芸能人のサインが幾つか見えたので有名なお店らしい。

そこから先は商店街になっていて立派なアーケードになっている。雨が降っているので有り難い。昼間なら賑やかであろう広々とした商店街も朝は人もまばら、途中ラジオ体操をしている小学生数人(少ない!?)の前を一緒に上肢や骨盤を大きく動かしながら通過。いつも平地では片手で水平に持ち、山道で威力を発揮する金剛杖は歩いていて疲れたときに時々杖を両手で横に持ちストレッチをすると気分転換になる。

商店街をクリアして国道320号線に出る。ここでも自分の位置が分からず左に行けばよいのか右に行けばよいのか迷うがカンで右折、雨は依然降り続いていていたが道路沿いの商店もアーケードになっていて助かる。しばらくすると宇和島駅に到着。宿毛からここまで鉄道がなかったので久々の駅だ。

 駅を通過してそのまま線路沿いに。へんろ道保存協力会の地図だと駅の先を左折、線路を横断するのだが、先にある鉄道のヤードに惹かれてそのまま直進。ヤードを回り込むような道で若干遠回りだが、ちょうど「アンパンマン列車」の出場を見送る事が出来、今となっては貴重な機関車の転車台と機関庫を間近に見られ、鉄道用地外から柵越しに写真に納めることが出来た。

その先は一旦線路の下をくぐり、道路に出ると右折して再び線路をくぐる。銭湯や個人商店が建ち並ぶ古くからの道らしい。その先に北宇和島駅があり。歩いている道路から見える位置にあるので休憩のため寄る。待合室には自転車に荷物満載の野宿遍路と列車待ちの女子高生2人。野宿の生涯遍路に挨拶する。

「雨やみましたよ〜」

「お、そうか。」

どうらや生涯遍路はホームレス化しているらしい。菅傘以外は遍路道具のようなものが見あたらない。

「お遍路さん、どこから来たの?」

と生涯遍路の向かいのベンチに座っていた女子高生が話しかけてきた。1番から歩きはじめておそらく女子高生から話しかけてきたのは初めてではないだろうか。

千葉から前々日夜行バスに乗って高知経由で愛媛入りして40番観自在寺から打ち始めたこと、歩き遍路であることなど簡単に話した。またお盆過ぎたばかりで学校に行くのは大変だね!と話しかける。

「そうなんですよ〜テニス部なんだけどもうすぐ宇和地区大会があって。もう、大変ですよ〜こんな暑いのに毎日練習なんですよ、台風でも練習だったんですから。これからどこのお寺に行くのですか?41番?ああ、よく列車の中でお遍路さんにどこで降りるか訊かれますよ。えっこれから歩いて行くのですか?」

随分と話す高校生だ。顔は日焼けして毎日練習しているのが分かる。生涯遍路と女子高生それぞれ写真とお札を渡して駅のトイレに寄って駅前の商店で500ml缶のアクエリアスを新橋旅館で凍らせたアクエリアスが既に空になっているPETボトルに詰め替える。今回の遍路中、コカコーラの自販機で売られているアクエリアスはPETボトルが150円に対し、500ml缶のものは100円で売られていたのだ。でもどこの販売機も自販機のボタンを押し間違えて隣のボタンを押すと同じく500ml缶のコカコーラ・・・。要注意。

北宇和島を過ぎると曇り空。夏遍路には丁度良い天気だが湿度がものすごく高くサウナ状態。汗ダラダラで予土線ぞいの県道57号線を進む。単調な道路で民家と山林しかない飽きる道だ。務田駅手前を左折して41番へ、線路を越えるときに向こうから自分と同じ年くらいの妊婦さんが歩いてくるので挨拶。恥ずかしそうに黙って会釈してくる。自分より年上の地元の方にはだいたい挨拶が返ってくるか向こうから先に挨拶してくるが、自分と同年代以下はほとんど一般通行人と同じだ。先ほどの北宇和島駅の女子高生は珍しい。

 この先は両側が田んぼの視界が開けた農道であり、台風の影響もあって少し強めの風が吹いてくる。先に歩き遍路を発見、すぐに追いつく。学生遍路で白装束は着ていなく、菅笠と金剛杖のみである。挨拶をして門前まで一緒に歩く。

41番龍光寺到着。40番から50.2kmの距離である。門前で汗を拭き、輪袈裟を身につけローソク、線香、お札が入った「さんや袋」代わりのウエストポーチを装着。念珠を持ち境内に入る。ここは廃仏毀釈前まで神社と一緒の境内だったお寺で現在は神社の建物が一番上にあり、お寺の寺務所、本堂、大師堂などは神社の下にある。まずは手を洗い、口をすすぐ。その後は鐘を打つ。このとき念珠が無いのに気づく。境内を探したが見つからない。

先ほどの門前で置いてきたか?でも帰りは山門を通らず境内脇の遍路道から42番に向かうので戻る気がしなく、あきらめる(実は意外な場所に念珠があったのだ!)

念珠なしで気になるが、本堂、大師堂で読経。その後更に石段を登り神社を二礼二拍手一礼の神社の参拝方式でお参りする。

お寺に戻り納経所へ。車遍路の家族が納経中で順番を待つ。随分と御高齢な住職らしき人が納経帳を書きながら家族遍路と話している。僕の順番になって何を話すのだろうかと期待していたが会話もなく、すぐに納経帳を書き終える。

この間、さきほどの学生遍路は既に出発したらしく、別の若い遍路が境内に現れる。こちらの学生遍路は野宿の荷物で上下白装束、さんや袋もぶら下げていて本格的だ。二人ともこの時会ったのが最後だ。歯長峠で「楽をとる」道を選んだかもしれない。

3:30に宿を出て時折激しい雨に降られながら7時過ぎに宇和島到着。

早朝なので雨対策完備の商店街を歩く。(40番から約40km)

今は貴重な転車台と扇形車庫(40番から約41km)

お!PC8000シリーズだって、懐かしい!・・と思ったあなたは既にいい年ですよね?

(40番から約45km)

龍光寺手前約2km、左手前の小さな山の上にお寺があります。

北宇和島駅を過ぎてから雨は降らなくなりましたが高温多湿で大変でした

 

第41番龍光寺到着、山門の代わりに鳥居があります。

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